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11歳で将軍になった徳川家綱(いえつな)はどんな人物?したことは?|誕生日は寛永18年(1641年)8月3日

徳川家綱(いえつな)はどんな人物?

江戸幕府の第四代将軍は家綱(いえつな)といいます。

彼は寛永18年(1641年)に生まれ、父は三代将軍の家光です。

彼が将軍になったのはわずか11歳の時でした。

将軍としては約30年間在職しましたが、40歳の若さで亡くなりました。

将軍になった当初は、浪人たちによる幕府の乱れを収めるために苦労しましたが、家光の遺志を受け継いだ保科正之という側近のおかげで政治は安定していきます。

彼の治世では、養子の制限を緩和して末期養子を認め、大名の廃絶を減らすための対策も行われました。

また、度量衡制度を統一し、さまざまな制度が整備されました。

しかし、後半期になると商品経済の発展により、武士の経済的な困難や百姓一揆の増加といった問題が生じました。

家綱は病弱だったため、成長後も政治を主導することができませんでした。

そのため、大老酒井忠清が政治の実権を握りましたが、幕政は新しい社会の変化に対応する柔軟性を失いつつありました。

家綱の死後、弟の綱吉が五代将軍として迎えられ、障碍を打破するために改革を行っていきました。

徳川家綱(いえつな)はなにをしたの?

江戸幕府の第四代将軍、家綱の時代には、さまざまな政策が行われました。

下記が主な政策です。

■殉死(じゅんじ)の禁止

人々が将軍に仕えるため、死ぬことを避けるために殉死を禁止しました。

■末期養子の禁緩和

大名の家督を継ぐための養子制度を緩和して、末期(最後の世代)でも家を継ぐことを認めました。

■証人(人質)制の廃止

大名が忠誠を誓うために差し出していた人質を廃止しました。

■牢人対策

浪人による乱れを収めるために、さまざまな対策を行いました。たとえば、寛文印知(かんぶんいんち)と呼ばれる法令を制定し、幕府の法律を広く知らせました。

■度量衡の統一

全国で同じ重さや長さを使う度量衡制度を統一しました。

■商品流通政策

全国的な商品の流通を円滑にするための政策が整備されました。

■キリシタン統制

キリスト教の信仰を厳しく制限するために、宗門改という全国的な政策が取られました。

これらの政策は、大老や老中といった重要な役職者たちが協議し、幕府の統治を安定させるために進められました。家綱の治世は社会の秩序を守る時期であり、さまざまな制度整備が行われた時期でもあります。

徳川家綱の最後

家綱は延宝8年(1680年)5月8日病死します。

彼が亡くなった後、寛永寺に葬られることが遺言として伝えられました。

そして、多くの人々が葬送のために参加しました。

数日間にわたり、寛永寺で葬礼が行われたそうです。

衆僧たちが勤行し、供え物が捧げられました。

家綱の死を悼み、法事が厳かに行われました。

このようにして、家綱の葬儀は行われ、彼の治世で整備されたさまざまな政策が社会を安定させる助けとなりました。

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